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占星術

【Astrology】

占星術とは、我々の生活が広く天体現象に支配されているという明白な事実から現れてきたものです。その最大の天体現象である太陽の影響を受けない人類など、一人としていません。地球が生まれた数十億年前から、地球が滅びる数十億年後まで、太陽は昼と夜を作り出して、生物の生活リズムを作り出しつづけることでしょう。また、月も太陽ほどではないにせよ、月の満ち欠けと海の干満を作り出し、人々の生活を左右してきました。  このような天体現象〔長い間、虹、流星、稲妻なども天体現象だと解釈されてきました〕が人々を支配する事は、明らかです。
つまり、天体現象を分析する事で、人々のことを知ることも可能になるのです。これが、占星術の思想です。初期の占星術は、このような大きな天体現象は、国家の命運のような大きなことを予測するものでした。国王の命運は国家の命運そのものなので、王の運勢を予測する事もできるとされました。時代が下ると、占星術は大きな予言だけでなく、個々人の運命をも予測するものとされるようになりました。
占星術の優れた点は、それが学問であったところにあります。この世には、無数の占いがあります。骨や亀の甲を焼いて割れ目で占う亀甲占い、筮竹を引いて占う易、水晶玉や水面を覗き込んで瞑想する占いなどなど。しかし、そのほとんどは偶然性に左右される占いでしかありません。同じ人、同じ国を占っても、毎回違う結果が出てしまうという再現性のないものなのです。このようなものは、学問になれません。 しかし、占星術は違います。天体の位置という誰でも確認できる計算可能なものを基にしているため、いつどこで誰が計算しても、同じ人物のホロスコープは同じ結果にしかなりません。つまり、占星術には再現性があるのです。占星術師とは、人がいかなる星のもとに生まれたかを計算し、その影響下でどのような運命に出会うかを予測する学者なのです。そのため、占星術は、天体観測技術の発達と、それに基づくデータの積み重ねが必要になるのです。最古の占星術は、B.C.2500年頃メソポタミアで生まれました。当時、チグリス・ユーフラテス川のほとりで文明を作り上げたシュメール人が、占星術を作り出したとされています。他のいかなる文明も、メソポタミア文明と接触する以前には、天文により人事を予言するということは行っていません。最古の記録は、B.C.2600年頃のアッカド王で、シュメール人を征服して統一王朝を打ち立てた・・アガデ王朝サルゴン1世の頃の写本です。粘土板に楔形文字で書かれた記録によって、その内容を知ることが出来ます。
いくつかの例を下記に挙げましょう。

「月、かさ〔薄い光の輪〕をかぶり、木星その中に入らば、アッカドの王は包囲され、動物ら戦場に倒れん」

「われはわが主なる王に書にて上奏せり、食起こらんと。食、事実起こりたり。こは平和の徴しなり」

「この月の14日、金星は見えざるも、月食あらん。エラムとシリアの地に禍つごとあるも、われらの王は安泰ならん。王への忠誠をつくすべし」

このような、国家の運命を予言するのが、占星術でした。そこでは、予定通りに起こる天体現象は吉であり、不慮の現象は不吉であり神々の悪意をあらわしているものとされました。
特に、太陽、月、金星の三惑星〔占星術では天文学でいう惑星だけではなく、太陽と月も惑星とみなす〕が重視され、それぞれ太陽神ウトゥ、月神ナンナル、金星の女神イナンナとして崇拝されていました。  シュメール人は、既に60進法や12進法を発明していましたし、月の周期、1年の長さなども細かく計算していました。さらには、地球の地軸の揺らぎである歳差運動をも知り、その周期を約2万5900年と計算していました〔現在の発達した天文学による計算では約2万5800年とされています。4000年以上前の計算としては、素晴らしい精度です〕。
長年の観測がなければ、このような計算は不可能であろうことを考えると、占星術の奥深さを感じさせる事実です。もっとも、3万年前の月の満ち欠けを記録した鹿の骨が残っている事を考えれば、当然なのかもしれませんが・・。B.C.2000年ごろ、メソポタミアの支配権がシュメール人からバビロニア人に移っても、占星術の知識は失われませんでした。それどころか、現在使われている占星術のほとんどの部分は、バビロニア人〔および後継ぎのカルディア人〕が作り出したとされています。
例えば、七惑星に神々を対応させたのも、バビロニア人であるのです。

惑星名

神名

神格・役割

太陽

シャマシュ

昼の光り〔太陽〕

シン

夜の光り〔月〕

金星

イシュタル

愛と美の女神

水星

ナブ

智恵や文字の神で、神々の書記官

火星

ネルガル

戦争と疫病の神

木星

マルドゥーク

主神

土星

ニニブ

農業と医療の神

これらの、惑星と神々の対応は、ギリシア神話にもそのまま取り入れられています。また、十二星座を定めたのも、バビロニア人だといわれています。バビロニアの天地創造神話で、その書き出しが「エヌマ・エリシュ」である為に、その名がつき・・主神マルドゥークが、ティアマトを討ち、キングから主神の地位を奪う物語である・・バビロニアの神話『エヌマ・エリシュ』には、以下のような一説が存在します。

それからかれ「主なるマルドゥーク」らは偉大な神々の為に落ち着き場所を設けた。かれらの似姿であるそれぞれの星、十二宮の星座を置き、一年を定め、基礎的割り振りをしてから、十二月の月にそれぞれ3つの旬日の星座を配置した。実は、聖書『旧約・新約両方』には世界の構造についての記述は存在しません。当然のことながら、天体の運行がどうなっているかは記されていないのです。そこで、アリストテレスの思想が正当なものとされました。アリストテレスは、キリスト以前の学者〔B.C.384〜B.C.322年〕なので、当然のことながらキリスト教徒ではありません。にもかかわらず、アリストテレスの学説の多くはキリスト教として正しいものとされました。
彼の天動説も、キリスト教会において正しいと定められてしまいました。
このため、ガリレオが地動説を唱えたときにうろたえてしまい、宗教裁判にかけるという恥をさらす事になったのです。よく考えてみれば、天動説など聖書にはかかれていないのですから、古代の学者〔しかもキリスト教徒ではない〕と現在の学者〔キリスト教徒〕の説、どちらが、どちらが正しいかを冷静に考えるだけでよかったのです。愚かな事をしたものです・・・。