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占星術の権威

B.C.6世紀頃、アケメネス朝ペルシアがバビロニアを征服しました。このため、大量のカルディア人がバビロニアを離れ、各地に移住することになりました。こうして、占星術がヨーロッパにも広まる事になりました。実際、ヨーロッパ人にとってカルディア人とは占星術師の代名詞となっています。そして、ギリシア最大の碩学アリストテレスによって、その権威が高められる事になりました。アリストテレス自身は占星術書を書き残しませんでしたが、占星術というものが存在しうる根拠を提示しました。
アリストテレスは、こう書いています。

この世界は、必然的な仕方でより高き世界の動きに結びつけられている。この世におけるあらゆる力は、この動きによって統べられている

ギリシア哲学とヘブライ神学を統合したヘレニズム文化的なアリストテレスの思想は、キリスト教の世界観に取り入れられて、広くヨーロッパの思想として長く信じられました。キリスト教は占星術を攻撃したにもかかわらず、キリスト教会が偉大な碩学として尊敬していたアリストテレス自身が占星術の有効性を保証してくれていたのです。また、四大元素説〔全ての物質は地水火風の四元素によってできているという考え方〕が占星術に取り入れられ、十二宮も四分され、四元素のどれかに属するようになりました。ギリシア文明は、アリストテレス以外にも、二人の偉大な占星術師を出しました。

  • マルクス・マニリウス〔B.C.1〜A.D.1世紀〕

占星術を個人の運勢を占うのに用いるのは、B.C.250年頃までは行われていませんでした。これは、当時のギリシア文明が始めたともいわれています。マニリウスの時代には、占星術はすっかり個人の運勢を占うものとなっていました。マニリウスは、再び国家の運勢を占うようにしました。彼は『アストロノミコン』〔星々の歌〕という占星術詩集を書き、地中海の国々に星座を当てはめ、星座による世界地図を描きました。これを獣帯地理学といい、後の社会占星術の走りとなります。また、十二宮を昼と夜に分類しました。現在でも、昼を男、夜を女と置き換えられたものの、そのまま通用しています。
奇数番目の宮が男性宮で積極的外面的であり、偶数番目が女性宮で消極的内面的な宮とされます。また、十二宮が人体のどこを司るかを定め、占星術を医学に応用できるようにしました。これは、占星術医学の始まりであり、後の有名な錬金術師パラケルススらの医学者に受け継がれる事になりました。

  • プトレマイオス・クラウディオス〔100〜178年〕

エジプトのプトレマイオス朝の末裔と言われる〔こともありますが学説では過ちとされています〕、プトレマイオスは、占星術に偉大な進歩をもたらした人物というわけではありません。そもそも、プトレマイオスは占星術師と言うよりも、ギリシア最後の天文学者として知られている人物です。それは、彼の著書によります。プトレマイオスは、それまで数世紀にわたって発展してきた天文学と占星術の成果をまとめ、『アルマゲスト』〔大星表〕、『テトラビブロス』〔四つの書〕と呼ばれる本を書きました。『アルマゲスト』は、多くの恒星の位置を記録した星表です。元々の名前は『メガレ・シンタキシス』といい、『アルマゲスト』はアラビアにおける名前です。しかし、ヨーロッパにおいて、原本は弾圧により焼失してしまいました。そのためアラビアに残された『アルマゲスト』という名前で呼ばれるようになったのものなのです。
『テトラビブロス』は、相〔アスペクト〕と言う考え方が、初めて紹介されている書物で、アラビアにおいては占星術の聖書ともいうべきものです。プトレマイオスは、アスペクトを恒星同士の角度に採用しましたが、現在では惑星同士の角度を問題にするようになりました。
この点は、プトレマイオスの古さでありますが、それ以外の多くの面で、プトレマイオスは現代占星術の祖と言うべき人物なのです。

インドの占星術は、A.D.2〜3世紀頃ギリシア語から占星術文献がサンスクリット語に翻訳されてもたらされたものと伝えられます。
そして、月の二十八宿を加え、独自に発展しました。インドの占星術で面白い点は、誕生ホルスコープ以外にも、さまざまなホロスコープを作るところにあります。たとえば、結婚ホロスコープによって良き日に結婚すれば、寡婦〔未亡人〕にならなくてすむのです。これは、昔のインドにおいて寡婦の地位が非常に低かった為、誰もが寡婦にならないことを願ったためです。また、初潮ホロスコープというものまであります。インドでは、幼児婚の伝統がありますが、初潮を迎える事で、初めて夫婦は生活を共にする事ができるのです。
このため、初潮ホロスコープはそのようなことで左右されない不可避の運命をあらわすものとされました。また、輪廻転生思想の影響で、自分の前世がどのようなものであったかをホロスコープで知ろうとしたり、転生した先がどうなるのかを知るために臨終ホロスコープまで作られたといわれています。