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ケンタウロス

KENTAUROS

 ケンタウロスは、ギリシア神話でおなじみの半人半馬の種族です。その雄雄しい姿からは草療を疾駆する猛々しくも美しいイメージを呼び起こさせますが、実際のところは山岳地帯を住処としています。上半身は人間で下半身は四足の馬の姿をしたケンタウロスが一般的ですが中にはシェークスピアの『真夏の夜の夢』に登場する妖精パックのように後ろ足2本という姿で伝える文献もあります。ただ、やはり一般的なケンタウロスとは4本足の馬の姿といえるでしょう。ローマ時代の博物学者プリニウスもその著書の中に剥製となったケンタウロスを見たと書き残しており、その姿はやはり下半身を四足としたそれであったということです。
 ケンタウロスの起源は紀元前6世紀ごろに黒海とカスピ海の北東部に強大な国家を建設していた遊牧民族のスキタイ人で、彼らがギリシアの北方地帯であるテッサリア地方に大規模な騎兵隊で進入してきた時、この地帯に住んでいた人達が、彼らを見て半人半馬の怪物が現れたと錯覚したということから始まるといわれています。ただ、この話が怪しいものとする説が多く、そうなのかははっきりと保証できません。ただ著者の意見としては、スキタイ=ケンタウロス説は誤りではないと思います。なぜなら、ギリシア人達が馬に乗ることを知っていたとしても、それに乗って攻めて来ることは考えられないことと思えるからです。確かに当時のギリシアの軍隊は騎兵隊をもっていましたが、スキタイのそれにくらべると微々たるものでしたし、やはり、当時のギリシアの主力はホープリタイ(楯で武装した歩兵部隊)であったことからもそういえると思います。
 ケンタウロスが闘う時に使う武器は人間達のそれと同じで、弓や槍、根棒を好んで使用します。これは、男性的な猛々しさや性的なものをあらわしているのですが、大体神話の中ではそうした武器を使用しました。これはケンタウロスという言葉がラテン語で槍や棍棒をあらわす由来としても知られています。
 彼らのもう1つの特徴として知られるのが、乱暴で粗野な性格と好色で、まったくといっていいほどの世俗風物に対しての無知な点をあげられます。ギリシア神話にはそうした乱暴な一面のみをあらわすケンタウロスの逸話がありますが、その代表的な話としてラピタイとケンタウロスの戦いの話があります。また、唯一の例外として知られるのがケンタウロスの賢者ケイロン(Cheiron クロノスとオケアノスの娘ピリュラの子で、ケンタウロスでありながら賢明で正しく、冷静で道徳心をもっていました。また、音楽、医術、狩り、運動競技、予言術に優れ、ギリシア神話の多くの英雄達の師となりました。その医術に優れていた点は、医術の神アスクレピオスでさえも彼を師としていたことからも想像できます。彼を師としてた英雄達の名をあげると次の通りです。トロイア戦争の英雄アキレウス、アルゴ遠征隊のリーダーイアソン、同じくアルゴ遠征隊に参加したディオスクロイなどです。)で、彼はギリシア神話に登場する英雄達の師として有名です。

ラピタイとケンタロウロイとの戦い


 テッサリアに住む人間達の種族ラピタイ族とケンタウロス族(ケンタウロイ)との間には和睦の条約が結ばれていました。ところがある日、ラピタイ族の結婚式の宴に呼ばれたケンタウロイ達は初めて飲んだ酒に悪酔いし、その本性である乱暴で好色な面をさらけだし、花嫁を誘拐しようとしてしまいました。それに怒ったラピタイ族は彼らと戦い、とうとうテッサリアの国から追い出してしまいました。その後、彼らは、アルカディアの西方、ポロエの山あいを住まいとしますがヘラクレスによって滅ぼされてしまいます。しかし、へラクレス自身もケンタウロスの生き残りであったネッソスの策謀によって命を落とすことになるのです。

ヘラクレスとケンタウロス

ケイロンの死


 ヘラクレスは彼の功業として名高い十二業の中の「エリュマントスの野猪」を捕まえに行く途中、ケンタウロスのポロスの接待を受けました。さまざまな御馳走を食べたのですがヘラクレスはケンタウロス一族の共有となっている酒が飲みたいとポロスにいいました。しかし、ポロスは、ほかの仲間が怒るのを恐れ、それを断ったのですがヘラクレスはそんなことにはおかまいなしで、酒の釜の蓋を開けてしまいました。するとポロスが案じたようにほかのケンタウロスが武器をもって大勢集まってきました。ヘラクレスはそのケンタウロスに対して弓矢を射かけ、ほとんど皆殺しにしてしまいしまた。そのとき、偶然その矢の一本がケイロンにあたりました。ところがケイロンは不死であったため、死ぬことには到らなかったのですが、その矢にはレルネーのヒドラの毒がついていて一生癒えない傷に苦しまなければならなかったため、ケイロンは神に懇願して、その命をプロメテウスに譲って死ぬことになったのです。

ネッソスとへラクレスの死


 ネッソスはヘラクレスによってアルカディアの地を追われ、仲間のほとんどを殺されたケンタウロスの最後の生き残りでした。ある日、ヘラクレスが妻デイアネイラとその子ヒュロスとともに旅にでたときネッソス河にさしかかりました。ヘラクレスは子供を抱いて河を渡ることはできたのですが、デイアネイラを一緒に渡すことができませんでした。そこへ、ケンタウロスのネッソスがやってきて手伝うといいました。ところがヘラクレスを怨んでいたネッソスは本当はデイアネイラをさらってしまうおうと思っていたのです。ヘラクレスはこの企みに気付き、ネッソスをその矢で射殺してしまいました。彼はその死に際にデイアネイラに自分の血と精液を混ぜるととても優れた眉薬になるといい残しますが、じつはそれは真っ赤の嘘で猛毒だったのです。ヘラクレスは、その後、ネッソスの血を染み込ませた上着を着たため、それが原因で死に至ります。

 ケンタウロスは幼想動物学のなかで最も調和のとれた動物である。「双形」とオウィディウスの『転身物語』では称されているが、その異質混淆の性格は見逃されやすく、われわれはプラトンのイデアの世界に、馬や人間の原型と同じくケンタウロスの原型も存在すると考えやすい。この原型の発見は数世紀を要した。古代初期の遺跡には、馬の胴と後ろ半分が腰に落着かなく付いている裸体の人間像がみられる。オリンピアのゼウスの神殿の西面には、ケンタウロスたちがすでに馬の足で立っており、その動物の首になるべきところから人間のトルンーとなっている。 ケンタウロスたちはテッサリアの王イクシオーンと、ゼウスがへーラー(ユーノー)の姿に似せた雲との子であった。別の言い伝えによれば、アポーロの息子ケンタウロスとスティルベーの子であった。第三の言い伝えによれば、ケンタウロスがマグネーシアの雌馬たちと交わって生まれた。(ケンタウロスはガンダールヴァに由来するともいわれる。ヴェーダ神話で、ガンダールヴァは太陽の馬たちを御する群小の神々である。)乗馬の技はホメロスの時代のギリシア人に知られていなかったので、彼らがはじめて出くわしたスキタイの騎兵が馬と一体であるように思われたというふうに推測されている。南米征服者〔コンキスタドール〕たちの騎兵隊もインディアンにとってケンタウロスだったといわれる。プレスコットの引用している一文にはこうある。乗り手のひとりが落馬した。するとこれまでその動物を一体だと思っていたインディアンたちは、それがばらばらになったのをみると恐れ戦いて逃げていき、獣がふたつになったと仲間たちに大声でふれまわり、このことを不思議に思うようになった。ここに神の秘められた手を感じることができよう。なぜならこの出来事がなかったら、彼らはキリスト教徒を皆殺しにしたかもしれない。 しかしギリシア人はインディアンと違い、馬には馴染んでいた。ケンタウロスはうまくこしらえられたもので、無知から生じた混同ではなかったというのが当っていよう。
 ケンタウロス伝説のなかでもっともよく知られたものは、結婚式の席でラピテース族と戦闘する話である。ケンタウロスたちには酒ははじめての経験だった。酒宴の最中に、ひとりの酔ったケンタウロスが花嫁を辱しめ、食卓をひっくり返し、有名なケンタウロス戦闘がはじまる。これはフィディアス、もしくは彼の弟子がパルテノンに彫刻し、オウィディウスが『転身物語』第十二巻で後世に伝え、ルーベンスに霊感を与えるものとなる。ラピテース族に敗れて、ケンタウロスたちはテッサリアを追われた。ヘラクレスは二度目に彼らと出会ったとき、その弓矢でケンタウロス族をほぼ全滅させてしまった。
 怒りと野蛮さがケンタウロスに象徴されているが、「ケンタウロスのなかでいちばんに正義を守る」(『イーリアス」第十一書八三二行)ケイローンは、アキレウスとアスクレービオスの師で、彼らに医学や医術のみならず、音楽、狩猟、戦いの技を教えた。ケイローンはふつう「チェンタウロの曲」として知られる「地獄篇」第十二曲のなかで、ひときわ目立っている『神曲』一九四五年版におけるモミリャーノの鋭敏な洞察は、関心ある向きには興味ぶかい。
 ブリニウス(第七巻三)は、クラウディウス皇帝の時代に、蜂蜜詰めにされてエジプトからローマへ運はれるヒッポケンタウロスをみたと述べている。
 「七賢人の饗宴」で、ブルタークはこんな滑稽な物語をしている。コリントスの僭主ペリアンドロスの羊飼いのひとりが、雌馬が生んだばかりの子供を皮の袋に入れて主君のもとへもってきた。その顔と首と腕は人間だったが、からだは馬だった。赤ん坊のように泣くので、皆、それが何か恐ろしい前兆だと思った。賢者ターレスがそれを調べ、含み笑いをした。そしてペリアンドロスに、羊飼いたちの行ないを是認するわけにはいかないと述べた。
 詩『物の本質について』第五巻で、ルクレティウスはケンタウロスなどは存在しえないと断じている。なぜなら馬という種は人間よりも先に成熟するので、三歳でケンタウロスは成長しきった馬であり、かつ片言しかいえない赤子である。馬のほうほ人間よりも五十年先に死んでしまう、というのである。

半人半獣


 半身半獣の怪物はケンタウロス以外にもいます。龍と人間の半人半獣であるドラコケンタウロス、牛と人間の半人半獣プケンタウロス、ロバのオノケンタウロス、獅子のレオンケンタウロス、魚のイクテュオケンタウロスなどがそれでず。こうしたものと本来のケンタウロスを区別するために、ヒッポケンタウロスという呼び方をする事があります。

イクテュオケンタウロス


 リュコプローン、クラウディアーヌス、ビザンティンの文献学者ヨハンネス・ツェツェスはそれぞれ時折、イクテュオケンタウロスにふれている。古典にはほかにこれに言及しているものがない。イクテュオケンタウロスは「ケンタウロス=魚」というふうに翻訳できる。この語は神話学者がケンタウロス=トリートーンとも呼ぶ存在に使われる。この姿はギリシア、ローマの彫刻にたくさん現われている。腰までが人間で、海豚の尾を有し、馬かライオンの前足をもっている。海の神々にまじって、海馬のいる近くに住んでいる。

リュコプローン
 紀元前三世紀頃のギリシアの学者、悲劇詩人。アレクサンドリア図書館の喜劇の整理を委嘱された。イアムボス調で書かれた1474行の『アレクサンドラ』のみが彼の作として伝わっている。

クラウディアーヌス(370-404頃)
 ローマ古典時代最後の重要な詩人。ギリシア語を母国語としながら、ラテン語で多くの作品を書いた。『ゴート戦争』、『プロセルピナの誘拐』などがある。

ヨハンネス・ツェツェス
 十二世紀ビザンティン帝国の文献学者。ホメロス、ヘシオドス、アリストファネスその他のギリシア古典に関する注釈書を残した。神話、文学史、歴史に関する雑録『史書』(『千巻』とも称される)が主著。