魔女裁判
恐ろしい魔女を捕まえ、裁くために行われたのが魔女裁判です。
魔女は、異端者の中でも極悪の異端者であり、魔女の存在を許しておく事はそれだけで罪なのでした。フランスの進歩的社会思想化とされるジャン・ボダンは、1580年発行の『悪魔崇拝』でこう書いています。のろく燃える(生木の)火で焼いても、魔女に対する罰としては十分ではない。地獄で待っている永遠の劫火を思えば、この世の火は、魔女が死ぬまでの、半時間以上は続かないのだから。・・・・魔女を火刑にしない裁判官は、裁判官自身が焼かれるべきである。・・・・魔女は、子供といえども許してはならぬ。
ただし、その幼い年齢を斟酌して、撲殺した上で焼いてもよかろう。・・・・正規の裁判手続きに拘泥してはならぬ。それを厳格に守っていては、十万に一人の魔女も罰することは出来ないつまり、魔女を捕まえる為ならば、人を噂や密告だけで逮捕し、拷問にかけて自白させてもかまわないというのです。逮捕された者は、拷問してでもかならず自白させられます。そして裁判にかけられます。裁判になったら出る結果は、火刑のみ。このようなデタラメな裁判で、一体何十万の無実の人々が、魔女の烙印を押されて火あぶりにされたことだろう・・。ちなみに、魔女狩りの際の拷問には三段階ありました。まず、予備拷問です。これは被告を裸にし、拷問具を見せて脅します。手足の指に締め枠をあてがって木ねじで締めつけ、肉を裂き骨を砕きます。さらに、被告の両手両足をロープで縛り、四方から引っ張ります。このような予備拷問で自白した場合、法廷記録には「拷問にならず自白」とされます。つまり、この程度は、まだまだ拷問ではないのです。次に、本格的拷問が始まります。両足におもりをつけ、手を縛ってぶら下げておきます。更に、時々ロープを緩め、落下したところで急に止めて全身の関節を脱臼させます(これは三度やると死亡するとすら言われます)。すね等に万力を当てて骨が砕けるまで締め上げます。これでも自白しない場合、手足を切り落とす、焼けたペンチで肉を千切り取るといった最終段階に入ります。自白を引き出すためならば、嘘や誤魔化しも多いにすべしとされました。「自白すれば、命だけは助けてやる」といって無理やり自白させたうえで、火刑にします・・。こうして、魔女として火刑にした者の財産は没収できるので、魔女狩りは非常に儲かる事業でした。実際、魔女狩りは拷問吏や裁判官などにとって一大事業であった事は間違いありません。さて、問題はこのような魔女が本当にいたかどうかです。このような魔女が本当に存在したのなら、確かに人類の危機です。魔女裁判はやりすぎにしても、何らかの緊急措置が必要だったかもしれません。だが、歴史は答えます。こんなものは妄想だと・・。本当に品性下劣でいやらしい人間のクズは、キリスト教側であったことは、歴史が教える事実なのです。魔女裁判の記録に性的描写が多い事は明らかになってます。これなど、禁欲を強いられ体裁を繕わなければならなければならなかった聖職者にとって都合のいいものです。これらのいやらしい描写は、拷問される魔女の頭の中からではなく、拷問する聖職者の妄想からあらわれたものだったのです。ちなみに、魔女狩りについては、カトリックもプロテスタントも同罪です。どちらも、同じくらい熱心に魔女狩りを行い、罪もない人々を次々と火あぶりにしたことに変わりはありません。皮肉な事に、あまりにキリスト教の魔女の宣伝が広まった為か、本当に悪魔と契約して魔力を得ようとする人間が現れるようになってしまいました。彼らは、魔女裁判の記録を信じ、本当に悪魔を呼び出す儀式を行い、悪魔と契約し、魔力を得ました。まさに、キリスト教会の行った事は、敬虔なキリスト教徒を何十万も焼き殺した末に、悪魔の信者を増やす事にしか役に立たなかったのです・・。
|