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ヨハネの黙示録

  

ここでは、管理人が私的に気に入った部分を列挙しています。

イエスが「サタンによって誘惑」された際、イエスは実際、政治的革命の指導者として〔サタン〕と呼ばれていたイスカリオテのユダ〔十二使徒の一人で
イエスを裏切った〕と政治的な話をしていた。
イエスが〔昇天〕した際、イエスは実際に〔天〕と呼ばれていた修道院に行った。そこは、〔神々〕、〔天使たち〕と呼ばれた祭司やレビ人〔ユダヤの
神殿で祭司を補佐した者〕達が絶え間なく典礼をつかさどっていたところであった。
「賢者達が星によってイエスの降誕地に導かれた」際、実際には星は瞬いていなかった。それは、ダビデの星〔称号〕であり、
政治的同志のマギ派〔マギ教。魔術(マジック)の語源〕のリーダーでもあったイエスの父ヨセフが、彼の王家の後継ぎが誕生した事実を示したのであった。
「ラザロの蘇り」〔イエスが死から蘇らせた〕は、追放修道士の破門からの救済であった。ラザロは「死んで」いたが、これは破門が精神的な死を意味していたからである。

『ヨハネの黙示録』は読み始めてすぐに、そのようなアプローチに役立つように見える。謎が頻出するし、解答の形式も示されているくらいだ。「私は、この女の秘密と、七つの頭がある獣の秘密を知らせよう……七つの頭とは、この女が座っている七つの山々のことである……」。これがローマを示していることは一目瞭然である。別の説でイエスは語る「それらの秘密はこうだ。七つの星は七つの教会の天使である」。

〔女と竜〕
そして、天に大きなしるしが現れた。一人の女が身に太陽をまとい、月を足の下にし、頭には十二の星の冠をかぶっていた。女はみごもっていたが、子を産む際の苦しみに叫んでいた。そして、もう一つのしるしが天に現れた。見よ、火のように赤い大きな竜、七つの頭と十本の角を持ち、頭には七つの冠をかぶっていた。彼〔竜〕の尾は、天の星の三分の一を掃き寄せて、地上に投げつけた。そして、竜は子を産もうとしている女の前に立ちはだかり、彼女が生んだら、その子を食べてしまおうとしていた。女は男の子を産んだ。その子は、鉄の杖で全ての国民を治めることになっていた。しかし彼女の子は神のもとへ、その玉座へと引き上げられた。そして女は荒野へ逃げ込んだ。そこには、この女が千二百六十日間養われるように、神の用意された場所があった。

『戦いの巻物』〔War Scroll〕

歴史的な興味から言えば『ダマスコ文書』であろう。既に二十世紀初冬にカイロで発見されていた文書であるが、『死海文書』におびただしい写本が見つかり、同じ作者たちによるものであることがはっきりした。『ダマスコ文書』と『死海文書』の諸写本におけるペシャリム〔pesharim〕(ぺシェルの複数形。前述の方法による旧約聖書の「隠された意味」を示す記述)は、二人の指導者―「義の教師」と「悪しき祭司あるいは偽りの者」との間の闘争に大いにかかわりがあった。
『『死海文書』に出てくる共同体と初期キリスト教徒との密接な、組織上、教義上の結びつきを示す一定の証拠があれば、前述の二人の人物の識別が差し迫った問題となる。重要な巻物のいくつかが発見され出版される以前には、彼らがBC100年以前のユダヤの歴史上の人物であるという、初期の考え方があった。しかし、この結論を基礎とする証拠の取り扱いは〔新たな〕問題を抱かせるものである。筆者は、「義の教師」は洗礼者ヨハネであり、〔悪しき祭司あるいは偽りのものといった〕多くの侮辱的な名称で呼ばれていたヨハネのライバルの教師こそがイエスであったという、より正当な証拠があると確信している。この場合、巻物類はイエスの敵、つまり諸福音書で引用されているような人たちを示しているのである。これらを踏まえ、また巻物類が教えてくれる方法〔ぺシェルの技術〕によって、私達はイエスを歴史上の人物として再発見することが出来るのである。

この新しきイスラエルに対して、新しきアブラハム、イサク〔アブラハムの子〕、ヤコブ〔イサクの次男で、イスラエル十二部族の祖の父〕も存在することとなる。BC一世紀に伝導を行った者たちは、こういった名前を偽名として用い、礼拝も聖書世界の偽名を引き続いて用いて行われた。〔出エジプト〕―エクソダス(『出エジプト記』に記されたイスラエル人のエジプト脱出)の象徴にもとづく典礼を用いたディアスポラのユダヤ人の一集団は、彼らのリーダーを「モーセ」と呼び、さらに、彼とともに行動した女性リーダーを、モーセの姉妹の名である「ミリアム」と呼んだ。

イエスは「断罪の日」〔ヨム・キプール。ティシュレの月(正月)の十日目で、年間でもっとも厳粛な日」に、大祭司にふさわしい式服を身につけ、贖罪を行う役割を大祭司からもぎ取ったのである。

エフェソから生まれた『ヨハネの黙示録』に記録されている。表面上は天上の出来事であるもろもろの〔幻〕を見た「預言者」の口を借りるという仕掛けが施されている。人気のあったプラトン主義の影響下では、地上での出来事は天上の出来事の複製であると信じられていた。地上での礼拝のつとめは天上で神を拝みつづけることの反映であった。逆に、天上の聖務が記されている場合、それは地上の聖務を述べる方法であった。この二元的な信仰が、アグリッパ、イエス、ペトロそして仲間の教師達の真実の歴史を幻に偽装して記録した工夫をもたらしたのである。
〔預言者〕は実際は、エフェソの座聖堂―カテドラルの会衆の最前列に座る監督―ビショップであった。監督の席である〔カテドラ〕が設けられた座聖堂はすでにいくつか建立されていた。それらは主要都市にあり、聖霊降臨祭〔イースター語の第七日曜日。ユダヤ教の五旬節〕といった、暦にある祭りの季節には、場外の村々から監督や教徒らがやってきて、クムランがエッセネ派のセンターであった時期にユダヤで長く実施していたように、評議会や特別の礼拝を行った。

666の数字は実際、ヘブライ語のアルファベット〔アレフベート〕と、熱狂者の運動発祥の源となったグノーシス派〔霊知派。キリスト教と同時期に地中海世界で起こったグノーシス主義は、東洋・ギリシャ・ローマの宗教概念と混合したもので、後にキリスト教会で異端とされた〕修道院制度での用途を知る者にとっては、謎解きの鍵となる。ヘブライ語のアルファベット文字は、数にも用いられていた。最後のも字タヴ〔taw〕(〔t〕)は400、後ろから二番目の神シン〔shin〕(〔s〕)は300、また後ろから三番目のレーシュ〔resh〕(「r」)は200に用いられていた。600という数字は400と200、タヴとレーシュを組み合わせて作る。数字60はアルファベットの後ろの方にあるサメフ〔samekh〕(もうひとつの〔s〕)。6はアルファベットのはじめ近くにある〔六番目の〕ヴァヴ〔waw〕(〔v〕)。また、このヴァヴの文字は、頭文字あるいは頭文字の組み合わせと併せて用いるが、巻物の中にはその使用についてさらに踏み込んだ図示があった。ということから、666を表す文字は、タヴ、レーシュ、サメフ(TRS、660)に別のヴァヴ(6)を加えるということになりそこで頭文字が使われていることがわかるようになる。
ユダヤ人の修道院制度では、学校制度と同じように、毎年獲得していく段階に応じて文字が用いられていた。最高位の段階はタヴ―アルファベットの最後の文字で、それ以上の昇進が無いことを示す際に用いられる。この段階は、十年間の学習を経て三十歳になって取得するのが普通であった。その前の年にシンに達し、その前はレーシュであった。レーシュには特典が与えられ、過程終了者は、代用の神殿として使用される部屋に入り、そこで神殿の祭司のように礼拝することを許された。その段階に達するまでは、彼らはその部屋には入れなかったのである。
十年間の研修のうち、二十歳から二十三歳までの最初の三年間は、入会の準備期間であった。二十三歳にならないと、入会の段階―サメフに達しないのである。と言う事で、これがもう一つの大きな関門であった。タヴ、レーシュ、サメフは、修道院の学徒の経歴にとっては主要な三段階であった。こういうわけで、東方の修道院制度がその重苦しい修養と隠れた軍事目的のためにキリスト教徒に拒絶されたとき、キリスト教徒はその修道院制度を「666」と軽蔑して表現したのである。

写本にかかれたタイトルは「まったき心の雷」であり、両語ともヘレナとのかかわりを示していた。というのは、彼女が「神の聖なる思い」〔the Diveine Thought of God〕といわれており、〔雷〕がエフェソの祭司の一称号であったからだ。一部を読んでみよう。
私は最初であるゆえに最後である。
私は栄えあるものであり、蔑まれるものである。
私はあばずれであり、聖なる者である……
私は不可解な沈黙であり
その記憶が雄弁である理想でもある。
私はその声が多種である声であり、
その出現が多岐にわたる世界でもある。
私はわが名前の発声である。

ヒエラルキー〔階級〕

エクスカテドラ〔聖座宣言〕

490年の意味を持つ語―イーオン(aion)〔aion。年代区分の最大単位で永劫の意味〕

大きな里程石〔マイルストーン〕

事は成就した。私はアルファであり、オメガである。始めであり、終わりである。渇いている者には、命の泉から価なしに飲ませよう―
それらは実現した。私はアルファである。そしてオメガ。―始まり。そして終わり〔である〕。私は命の水の源泉から渇いた者に無償で与えるであろう―

問題の書〔アンディレゴメナ〕