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錬金術

【Alchemy】

人間の欲望の中でも、金銭欲ほどたちの悪いものはないでしょう・・
しかし、この金銭欲に裏打ちされて盛んに行われた錬金術が、近代科学の揺りかごとなったことは、否定できない事実でもあります。けれど、錬金術には、科学の基になった以外の価値はないのでしょうか・・錬金術が科学となるときに失われた叡智はないのでしょうか・・西洋文明の全てがギリシア文明から起こったといわれるように、錬金術もその始まりはギリシア哲学、特にアリストテレス哲学をその大元とします。アリストテレスは、物質を質量と形相であらわしました。質量とは物質の本質です。形相とは物質の特徴をあらわします。
つまり、質量は、様々な形相をもつ、様々な物質に変わりうるのです。ということは・・質量から不要な形相を取り除き、適切な形相を付け加えられれば、物質変化を引き起こす事が可能になるのです。これが、錬金術の基本となる物質観なのです。それでは、錬金術を実際に行うべき技術はどこからきたのでしょうか。それは、エジプトやメソポタミアの科学技術でした。
紀元前から、エジプトやメソポタミアは、様々な化学製品を作り出してきました。例えば、B.C.16世紀の『エーベル・パピルス』という・・エジプトで発見された、ミイラの作成法などが記されている古文書には、油脂を煮立ててアルカリを加えて石鹸を作る方法が記されています。ミイラを作るために、様々な薬品を作る必要があったエジプトでは天然の炭酸ソーダを採取して使用していました。メソポタミアも化学工業が発達していました。世界最古の都市遺跡といわれるメソポタニアにあるウルの遺跡で発見された壺は、紀元前に作られた電池ではないかとすら見られています。これらの知識や技術が、エジプトのアレキサンドリアで結びついて生まれたもの・・それが錬金術でした。
4世紀初頭の有名な錬金術師ゾシモスは「哲学者たちの王冠」と呼ばれています。当時の錬金術師の書といわれる本も多いですが、そのほとんどは後世の偽書といわれています。
しかし、1828年にエジプトのテーベの墓から発掘された『ライデン・パピルス』と『ストックホルム・パピルス』は、当時の技を伝える良い資料です。3世紀当時は、ディオクレティアヌス皇帝が錬金術書を焚書にした時代です。その頃の錬金術しかそのパトロンが、自らの師とともに墓に埋めさせたものと推定されています。肝心の内容ですが・・『ライデン・パピルス』には、宝石の作成方法が101種類、『ストックホルム・パピルス』には宝石の作成方法が73種、金属変性法が7種、着色法が70種、掲載されています。アレキサンドリアの錬金術は、そのまま西洋錬金術となったわけではありません。その技術は、メソポタミアやペルシアに移植され、発展する事になりました。5世紀頃、ネストリウス派キリスト教徒が東方に移動して、それとともに錬金術もアラビアに伝えられることになりました。そして、アラビアに技を伝えた後、西洋の錬金術は滅んでしまい、そのあと千年近くの荒廃の時代を迎えます。アラビア人がいなければ、錬金術の技も失われていたに違いないのです。そもそも、錬金術という言葉Alchemyという言葉は、el-Kimyaというアラビア語に由来しますが、このKimyaとはKhem、すなわち〔黒き地〕の事をあらわします。古代において、黒き地とはエジプトのことを言います。まさに、エジプトからアラビアに伝えられた学問が錬金術なのです。錬金術は、アラビアで本格的発展を遂げました。その証拠に、錬金術用語の多くは、アラビア語起源です。錬金術〔アルケミー〕という言葉をはじめとして、アルコール、蒸留装置〔アランビック〕、錬金薬〔エリクサー〕などがアラビア語から、そのままラテン語に取り入れられた用語です。このアラビア錬金術最大の碩学がアル・ラジ「865〜925」です。高名という意味では、ゲベルに及ばないものの、ゲベルはその存在が疑われるのに対し、アル・ラジは、その実在が確実な人物です。アル・ラジは医者としても有名で、『天然痘と麻疹の書』や『マンスールの書』はラテン語に訳され、中世ヨーロッパの基本テキストとなりました。錬金術に関しても『秘密の書』と呼ばれる本を書いていますが、この本は12世紀にはラテン語に訳されてヨーロッパの錬金術に大きな影響を与えたといわれます。彼等アラビアの錬金術師は、その実験精神によって、実際的な技術を発展させていきましたが、一方では『エメラルド・タブレット』と呼ばれる秘密の文書を伝えています。この文書が、13世紀にラテン語訳され、ヨーロッパの錬金術に大きな影響を与えました文書の著書はヘルメス・トリスメギストスと伝えられています。『エメラルド・タブレット』の全文を下記に記しておきます。
こは偽りなき真実にして、確実にして極めて真正なり。唯一なるものの奇跡の成就にあたり、下なるものは上なるもののごとく、上なるものは下なるもののごとし。
万物が「一者」の考察によってあるがごとく、万物はこの「一者」より適応によりて生ぜしものなり。
「太陽」はその父にして、「月」はその母、「風」がそを己が胎内に宿し、「大地」が乳母となる。
それは万象の創造の父である。
その力は、「大地」の上に完全たり。
その力が「大地」に向かえば、「大地」より「火」を分離し、粗大なるものより精妙なるものを分離すべし。
大賢をもって、そは「大地」より「天」に静かに昇り、再び降る。
優れるものと劣れるもの、その力を二つながら受け入れん。
かくて汝、全世界の栄光を我がものとし、ゆえに暗きものはすべて汝より飛び去らん。
そは万物の最強のものなり。なんとなれば、あらゆる精妙なるものをも圧倒し、あらゆる固体に浸透せんからである。
かくて、世界は創造されリ。
かくのごときが、ここに指摘されし驚くべき適応の源なり。
かくて、世界智の三部分を有するがゆえに、ヘルメス・トリスメギストスと呼ばれけり。
「太陽」の働きにつきて、われが述べたることに、欠けたることなし。
この短い文章は、最初はエメラルドの板に彫り込まれてあったのを、アレキサンダー大王が発見したと伝えられます。別の伝承では、この文書はヘルメス自身の手でエメラルドに掘られ、ヘルメスの墓で発見されたといいます。現在の研究では、『エメラルド・タブレット』は、13世紀にラテン語で書かれたものの存在が確認されていますが、それも10世紀頃のアラビア語の翻訳であるといわれています。そして、そのアラビア語文書自体が、4世紀頃のギリシア語からの翻訳であるとされています。この文書を書いたヘルメスは、世界の3つの智恵を持っているといいます。というのも、ヘルメスとは3つの属性を持つ人物だからです。第一のヘルメスは、ノアの洪水以前の人間で、アダムの孫だと伝えられています。天文の研究を行い、エジプトのピラミッドも彼の設計によるとされています。また、衣服を縫うことも、彼の発明であるといいます。第二のヘルメスは、ノアの洪水以降にバビロンに住んでいました。自然学、哲学、医学、数学に優れ、ピタゴラスの先師であったといわれています。最後のヘルメスは、エジプトの医者で哲学者でした。優れた科学者でもあり、都市計画にも才能があったとされています。そして、この3人のヘルメスは、実は同一のヘルメスの3つの顕現であるというのです。これがヘルメス・トリスメギストス〔三重に偉大なヘルメス〕という名前の由来なのです。